こんにちは!テツです。
この1年間でもっとも更新頻度が高い状況がこの10日間続いています。
本来の理想は毎日コツコツなのですが、自己効力感がド底辺だったことと、仕事と家庭環境も重なってギアチェンジをするタイミングと覚悟と勇気が出せずにいました。
そんな状況下で「1記事に2週間かけていた私が10日で15記事積み上げれた理由」について体験談にそってお伝えしたいと思います。
- 周りは頑張っているのに自分は頑張れていない
- ギアチェンジをして私ももう一度頑張りたい
- 諦めかけていた目標に向かってもう一度本気になりたい
そんな方に向けたエールになればと思います。
それまでの私
育休、産後の家事育児&荒れないようにご機嫌取り
2023年は2月に妻の妊娠が分かり、前年は2度の流産を私たちは経験をしていたため、どうにか無事に10月の予定日に生まれてきてほしいという一心でマタニティ期間を過ごしていました。
長女の世話をしながらの共働きですが、私も出来うる限り妻と長女のことを優先して過ごすことを心がけていました。10月に無事第二子が誕生し、また長女のときはコロナで立会が出来ませんでしたが、今回の第二子は立ち会いが叶い、スマホで動画撮影をすることもできました。
これで一安心、、、なんてことはなく、3時間置きの授乳、長女は精神的に病み(妹ができた、ママ取られた)、妻は産後うつで強い言葉遣いになったり、家の中はもともと散らかっていたのがさらに散らかっていき、散らかり具合や物が見つからないストレスでイライラを放つ妻をなだめつつ一緒に探したり。
触らぬ神に祟りなしとはいいますが、触らずに済むなら喜んで遠くへ行ってしまいたい、そんなふうに思ってしまうほど家族に対して身長かつご機嫌を取りまくっている自分がいました。
吸い取られる自己効力感
WEBマーケティングを学びだしたものの、中々時間をつくることも、5分でもやろうとする行動力が起こせず、どんどん遅れていく状況に自己嫌悪になり、「オフラインのリアル懇親会を開催します」という案内も申し込みはしてみたものの、「何も積み上げられていない自分が、いったい何をしに皆に会いに行くんだ」「きっと他の皆は日頃からbandレコーディングへのコメントやいいね、添削回で顔も見知っているだろうから、行ったところで挙動不審になって孤立する」「会費は払ったけど、行かないほうが皆のためにもいいかも」とどこかに自分を正当化する理由を作り出そうとしていました。
結果的に、私は2/24のリアル懇親会に参加します。もっと言えば、それまでの時間は外のカフェでひたすらブログ記事を書いていました。
「せめて1記事書いてきたって言えるものを持っていこう」
「どんなリスクとりますか?」
青木先生との直接面談
1次会はほとんど記憶にありません(ごめんなさい)それくらい緊張も不安も感じながらみんなの積み上げてきた実績や、既に案件を依頼されて活動を開始しているメンバーの凄さにただひたすら自分との差を感じ続けていました。1次会で私が出来たことは「誰よりもご飯を食べた」ことだと思います。
2次会になって最初のテーブルで青木先生が「テツさんまだお話できていませんでしたよね!話しましょう!」と言って初手で隣に座ってくださいました。「で?どんな調子ですか?」と聞かれ、私は素直に今のヒドイ進捗状況と自己効力感が低いこと、3回目の個人面談も申し込む勇気がないことを話しました。
「WEBマーケティングは長期的な目線で進むものだから、止まっていないことは大事、だけどどこかで自分の殻を破って行動しないと、いつまで経っても成果は得られない。」そうだと理解はしていたつもりでしたが、いざ青木先生の口から直接言われると、自分の甘さと現状に悔しさとどうすれば良いんだという虚しさが現れました。
わかりました!やります!
「3/31までに16記事書きます!出来なかったらバンジージャンプ飛びます」
私の宣言を聞いたテーブルのみんながドンドンパフパフと大盛りあがりしました。
結成「リスクチャレンジャー」
宣言後に席替えとなり、うわ~言っちゃった~と頭を抱えながら2次会の残りを過ごしていました。
お開きになると「テツさん!一緒に頑張りましょう!」と別テーブルから声が。
なんのことだと聞いたら、席替え後に同じように「〇〇出来なかったら〇〇」に挑戦するメンガーが増えていました。
「リスクチャレンジャー」というLINEグループを作成し、互いに励まし合える環境を構築しました。
すぐには変われない
懇親会後、数日は作業が進んだのですが家の問題をどうにかしないといけません。日中は長女が保育園に行ってくれると期待していたのですが、何故かまた情緒不安定になってしまい保育園に行きたがらず。連日休ませてはお家で過ごすことが増え、妻も産後で骨盤がまだ戻っていなくて横になっていることが多く、おっぱいでの授乳を除けば家の中で長女か次女の泣き声が鳴り響いている状況でした。
次女の4ヶ月検診で区役所を訪れた際に、助産師さんに「子どもの泣き声を聞くと罪悪感を感じてしまい、気持ちが落ち込んでやるべきことに手が付けられない」と相談をしてしまいました。その助産師さんからは「パパは優しすぎるし真面目すぎる。赤ちゃんは泣くことが仕事みたいなものだから、例え泣いていたとしても別の部屋において目を離したっていい」目からウロコでした。離していいだなんて信じられませんでしたが、現状をどうにかしたいと思っていた私は、妻にも協力してもらって作業中は妻と一緒に寝室でみてもらうことにしました。
いよいよ追い込まれた
3/14に2記事目を完了させて、3記事目どうすると考えているうちに気づけば3/18。土日を除けばあと10日で14記事。もう四の五の言っている場合ではありません。何でもいい、なんと思われてもいい。
行動しないと!時間を捻出しないと!
ここまで自分は動けないタイプなんだと呆れつつも、ある意識の変化で吹っ切ることができました。
スイッチ・オン
意識の変化があってからは、遅れを取り戻すつもりで2記事/日のペースで進めました。日中にどうしても時間が取れないときはスマホで記事にする内容の下調べだけでもとググりまくり、本作業は夜中に家族が寝てからリビングで一人で進めました。別記事にも書きましたが、今の私は2徹が限界のようです。自分の限界点が今どこにあるのかを知ることが出来たのも収穫です。
また集中力を維持するには運動がいいという記事を見つけたため、ずっと行かずにお休みをしていたパーソナルジムに通うのも再開しました。時間がないこのタイミングで再開!?と思われるかもしれません、結果的には1時間のジム時間のおかげで乗り越えられた夜もありました。
3/31 ついに16記事達成
「あと5!」
「あと4!」
と自分を鼓舞しながらbandにも進捗を投稿すると、チャレンジを知ってくれたみんなが次々と「いけるぞ!」「がんばれ!」「大丈夫です!」「応援してます!」と励ましてくれました。
そして3/31、ついに16記事のブログチャレンジを達成することが出来ました。
なにが変わったのか
「完了主義」を意識した
完璧主義から完了主義へと、理解が意識に変わったからです。
1記事に2週間もかけていた時の私は、記事の構成やタイトル、SEO対策に対して「もっと良いものがあるのではないか」と「完璧」を求めすぎて、記事の内容がぜんぜん進まず、また切り上げられずにいました。
追い込まれてからは「とにかく書いて、添削会で壁打ちして、あとから修正して完成度あげたらいい」とようやく吹っ切れることができました。
ホメオスタシスが味方した
ブログ記事を書いている期間、最初の2,3記事は「う~終わらない」と辛さしか感じませんでしたが、ギアチェンジしてからは「書いていない時間が気持ち悪い」という気分になりました。
アウトプット8割:インプット2割
とにかく書いて出す。出せてなんぼ。
仲間にいい刺激を与えられた
リスクチャレンジャーとして共に3/31まで走り抜けた仲間の存在も、スクールのみんなの存在も励みになりました。何よりも「これで未達成で終わったら、もう先がない」という恐怖感も原動力に変えることが出来ました。
また妻の協力にも本当に感謝です。追い込まれた時に「あと16記事書かないとバンジージャンプしないといけない」と相談すると、実家の両親にも伝えてくれたらしく、2週連続で終末は妻と子どもたちを連れ出してくれました。
妻「バンジー飛ぶあなたも見てみたいけど」
やめてくれ。
限界突破の先にある未来を目指した
1日に2記事書いたり、2日連続で徹夜で作業をしたりと、今の自分の現在地と限界値を知って、限界値の上限を上げる必要性を認識することを意識しました。
超サイヤ人ではありませんが、必死になって何かを得たいなら、文字通り「これ以上は必ず死ぬ」という限界値がどこにあるかを知る必要がありました。それが達成できたと同時に今後のWEBマーケを学んでいくうえでの生活習慣や体力面の課題も見えました。
期日を守ることへの必死さ
ギアチェンジするまでに時間を要したため、ペースランニングができていたとは言えませんでしたが、皆の前で宣言したのに達成できなかった時の絶望と逃げ出したくなる恐怖心は想像を絶するものでした。だからこそ、必死になれたのだと思います。
さいごに
今回は「1記事に2週間かけていた私が10日で16記事積み上げれた理由」について体験談をふまえてお伝えしました。
- 周りは頑張っているのに自分は頑張れていない
- ギアチェンジをして私ももう一度頑張りたい
- 諦めかけていた目標に向かってもう一度本気になりたい
以前の私のように悩み苦しんでいる人が勇気を出してまた歩みだすきっかけになれればいいなと思います。